サッカー上達のために努力してはいけない
わたしは「努力」という言葉を良いものとして使っていました。
実際多くのアスリートも努力という言葉を使用しています。
しかし下記の本を読んだらこういうことが書かれていたんですね。
努力の「努」とは、「奴隷にむりやり強制をして力を出させること」。これが努力の「努」になりました。奴隷に命令をし、嫌がる心をむりやりやらせる、その時の「奴隷」の「心」を「怒」というふうに書きます。 つまり「努力」とは、「嫌がるものをむりやりやらされること」というのが本来の意味でした。
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もちろん今ではその本来の意味は薄れているかもしれません。
でもこれを知ると「努力って言葉を使ってはいけないな」と思ったわけです。
とくに子供に使ってはいけませんよね。
別の言葉を考えてみる
実際、努力という言葉を考えてみても漠然として分からないものです。
調べてみても、
「目標の実現のため、心身を労してつとめること。ほねをおること。」と書かれています。
目標実現のためというのは分かりますが「心身を労してつとめるってどういうこと?」って感じです。
ゆえに良い言葉ではなく、分かりづらいものなら別の言葉を使用すればいいと考えました。
そして考えて思いついた言葉が「課題をこなす」というものです。
課題とは
「目標と現状の差をうめるためにやるべきこと。やると決めたこと」という意味です。
ゆえに「課題をこなす」とは、自分にとってやるべきことをやることです。
これこそ使うべき言葉だと思ったわけですね。
自分がやるべきことやるから上達する
どんなことでもそうですが、目標が明確でないと何も行動ができません。
やっているようで何も進んでいないといったことになってしまうものです。
それはサッカーだけでなく、勉強や仕事に置いてもそうです。
一番大事なことは目標を明確にし、そして今の自分を把握する。そこで見いだしたその差を埋めるための行動こそがやるべきことだということ。
けっして無理やり強制されてやるものではありません。
今後、習慣的に「努力」という言葉を使ってしまいそうになるかもしれません。
わたしという人間。。そうは簡単に変われませんからね(汗)
しかしそこは抑えて「課題をこなす」に変えていきたいと思います。
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