ナイス・ミス!の精神: 挑戦した結果の失敗を称える文化

サッカーの試合を観ていると、チャンスの場面でシュートを大きく外した選手に対し、周囲の選手や監督が手を叩きながら「ナイス・ミス!」もしくは「ナイス・チャレンジ」と声をかけるシーンに出会うことがあります。
「外したのになんで褒めるんだよ、ふざけるな」と、普通の人は思うかもしれません。
ですが、この言葉は単なる慰めや綺麗事ではなく、チームが勝ち続けるために不可欠な、極めて戦略的な「称賛」なのです。
「ナイス・ミス」と言われるプレーには、必ず共通点があります。それは、そこに明確な「意図」と「挑戦」があることです。
実は先日、私も仕事でまさにこの「ナイス・ミス」の精神が必要な場面に直面しました。
それは、今まで経験したことがないほど大きな新規案件でした。しかも、相手のお客様にとっても初めての試みだという、お互い「初心者」同士で進めるプロジェクトです。
正直、先が不透明すぎてどうなるか全く分からない状態。「本当にうまくいくのか?」という不安ばかりが、毎日頭の中を駆け抜けていきました。
普通の人なら、その不安に押しつぶされて動けなくなってしまうかもしれません。ですが、私はそこで自分に「ナイス・ミス!」の精神を言い聞かせました。
まずは今できることを着実にこなす。そうやって泥臭く動き出すことで、ようやく少しずつ先が見通せるようになっていったのです。
もちろん、失敗はありました。開催前日になって重大な見落としに気づき、大慌てで対応に走ったこともあります。
冷や汗をかきながら、「心配」という名の重りを毎日背負って過ごすのは、はっきり言って苦痛です。
ですが、その重りを背負いながら、日常というピッチを走り続けることで、仕事のスキルも、そして何より自分自身の精神も、確実に鍛えられている実感が持てたのです。
多くの人は、結果だけを見て「成功か失敗か」の二択で物事を判断しがちです。
ですが、失敗した自分を責め立てて「もう二度とミスをしないようにしよう」と縮こまることに、一体何の意味があるのか。
本当に恐れるべきは、ミスをすることではなく、ミスを恐れるあまり「安全地帯」から一歩も出なくなり、自分自身の成長や可能性を自ら殺してしまうことです。
新しい挑戦をして、リスクを取って踏み出した結果のミスは、むしろ「前進している証」として誇るべきです。
失敗を単なる「ダメな出来事」として処理して落ち込むのは時間の無駄です。それを、次にゴールを決めるための貴重な「データ」として蓄積していく。そう決めた瞬間から、世界の見え方は劇的に変わります。
「失敗したら恥ずかしい」「周りに無能だと思われたくない」
そんなふうに、他人の目という実体のない影に怯えて、挑戦の回数を減らしている人を見かけると、本当にもったいないなと感じます。それは過去の自分を見ているようで「さっさと動け!」と言いたくなります。
はっきり言って、挑戦の結果としてのミスを笑うような人間は、ピッチの外でヤジを飛ばしているだけの観客に過ぎません。そんな外野の言葉に耳を貸す必要はないのです。唾を吐きかければいいのです。
挑戦した結果のミスを自分の中で「ナイス・ミス!」と肯定する文化が根付くと、不思議なことに、行動のハードルが驚くほど低くなります。
そして、試行回数が増えることで、結果的に成功の確率も上がっていきます。
不安という重りを、自分を強くするための「負荷」として楽しみ、派手に外しても胸を張って「次は決める」と笑える。そんな不敵なマインドこそが、人生というタフな試合を攻略する最強の武器になるのです。






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