第1章:キックオフ — 「正解」のない世界へ踏み出す

目次
指導者という名の「支配者」:高い棚から正解を振りかざした私の過ち
息子がサッカーを始めたばかりの頃、私は休みの度に、彼を連れて近所の公園で練習を始めました。
この時の私は、サッカーに関して全くの無知。だからこそ、息子と一緒にボールを追いかけ、共に試行錯誤する姿勢でいられました。今振り返ると、あの時こそが息子にとって最高の環境だったのだと思います。
お互いに新しい発見に目を輝かせ、「こうしたほうがいいんじゃない?」と助言し合う仲。親子というよりも、まるで対等な友達同士でサッカーを楽しんでいる。そんな純粋な時間でした。
しかし、状況が変わっていったのは、私が「真剣に」サッカーを学び始めてからです。私は本やDVDを買い漁り、ネットで常に「サッカー上達法」を探す日々を送るようになりました。
知識が増えるにつれ、私の態度は傲慢になっていきました。
ピッチの脇で「もっとこうしろ!」「なんで今のを取れないんだ!」と、いかにも分かったような顔で声を張り上げる。自分は汗もかかない安全な場所に立ちながら、
「俺はお前のためにこれだけ勉強しているんだ!」
「だから俺の言う通りにしろ!」
と言わんばかりに、高い棚から「正解」を振りかざしていたのです。
しかし、ある時気づきました。私の言葉は、息子の心に全く響いていない。それどころか、息子は親の顔色を伺って縮こまり、あんなに大好きだったサッカーへの熱が、いつの間にか冷めかかっている。。。
私は、指導者という名の「支配者」になろうとしていたのです。
「計算可能なゲーム」という幻想:外側から正解を叫ぶのをやめ、カオスの中へ
知識という武器を持ったつもりでいた私は、サッカーを「計算可能なゲーム」だと勘違いしていました。
マニュアル通りに動けば勝てる、教えた通りに動けば上達する。そう信じていたのです。
しかし、実際のピッチはカオスそのものです。
どれだけ知識を詰め込んでも、風が吹けばボールの軌道は変わり、相手の動き一つで戦術は崩れ去ります。私の「正解」を押し付ける行為は、息子の自由な発想を奪い、変化に対応する経験を削いでいただけでした。
考えてみれば、私の人生に置いても同じ。。。どれだけノウハウを学んでも、世の中は予定通りには進みません。
大切なのは、外側から正解を叫ぶことではなく、混乱した状況(カオス)の中に自分も身を置き、その場で適応していく。
知識よりも経験。。それを息子の曇った表情が教えてくれたのです。
目の前のボール(問題)ではなく、スペース(未来)を見る
縮こまってしまった息子の姿を見て、私はようやく「観る」ことの本質を学び直しました。
”観る”とはただ単に”観る”と言う話ではありません。
私は、息子の「ミスというボール」だけを見て、それをどう修正させるかに必死でした。しかし、本当に観るべきだったのは、彼の心の「スペース(未来の可能性)」だったんです。
そのために私がやるべきことは、感情的に指示を飛ばすことではありません。自分自身の「教えたい欲求」を制御し、相手や自分が最も輝ける場所を静かに見守ることです。
私はもう一度、公園で一緒に転がっていたあの頃に戻ることに決めました。親が「正解」を教えるのをやめ、自らも一人の挑戦者として学び、泥にまみれる背中を見せる。
その背中こそが、子供にとって、そして自分自身の未来にとって、最も信頼できる道標になると確信したからです。







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