「守」がもたらす心の余白:基本の自動化がセルフコントロールを生む

なぜ、私たちはこれほどまでに「守」を徹底しなければならないのか?
その答えは、脳の仕組みにあります。これは科学的に認められているものです。
脳は学習する過程で使用される部位が異なります。はじめは前頭前野、練習を重ねると小脳に移ります。小脳はさらに誤差を修正し続け、最終的に神経線維がミエリン(髄鞘)化されます。ミエリン化された神経線維の伝達速度は最大100倍早くなると言われています。これにより意識が介入する前に体が反応するようになります。
このように基本の型を、考えなくても体が動くレベルまで「自動化」することで、私たちの脳と心には劇的な「余裕」が生まれます。
ゆえに、ボールを止めるという行為そのものに必死になっている間は、ピッチ全体を俯瞰(ふかん)して観る余裕など絶対に生まれません。
基礎基本ができていないうちに、周りを見る練習などしても意味がないわけです。
しかし、「止めて、蹴る」。いわゆるボールタッチという「守」が完璧に身につき、無意識下で処理できるようになれば、意識をボールから切り離し、周囲の味方の位置、敵の死角、風の流れといった、より高度な情報に集中できるようになります。
日頃のセルフコントロールも同じ
自分を律する「セルフコントロール」の力も、まさにこの「型の自動化」から始まります。
日々の生活の中で、基本となるルーティンや行動を「型」として崩さずに守り抜く。そうすることで、心に大きな「余白」が生まれます。
日常のTODOのピックアップ、メール処理、経理作業など、毎日こなさなければならない作業を「型」として崩さずに守り抜く。そうすることで、さらなる仕事に取り組める時間や余裕が生まれるわけです。
これはまさに、安定感という余白が生まれるということ。
人生のピッチで想定外のトラブルや逆境という強いパスが飛んでくることはあります。しかし、「守」を貫けば、動じることなく、スッとボールを足元に収め、顔を上げて次の一手を選択できる強さを得れるわけです。
破・離のステージに進む前に
本当の自由なプレーとは、感情のままに好き勝手に振る舞うことではありません。脳が嫌がる単調な作業を毎日継続する。その呆れるほど退屈なことを徹底した「守」の土台の上にのみ、本当の意味で型を破り、自分だけの独創的な道を歩み始める「破・離」のステージが見えてきます。
自分が成長するためにやるべきこと。そのためにやり残していること。それに徹底することが次のステージに進む前に必要なことです。







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